お茶よりも微炭酸。

暇つぶしに。それから思考の図書室にしたくて。

影響力

頭のいい人に憧れる。

適当に話しているように見えて、実はどの言葉にも意味や根拠がある人。
口数は少ないけれど、場の雰囲気や流れを一変させられるほどに言葉に含蓄がある人。
ごく少ない情報だけで、広く深く分析し、それを伝えられる人。

頭がいいというよりは、言葉を操るのが上手な人に憧れているのだろう。あるいは、「影響力」という単語が的を射ているかもしれない。うん、それだな。
他人に(良い意味での)絶大な影響を与えられる人は、得てして言葉が巧い。話していて楽しい。ずっと傾聴していたくなる。音声でなければ、ずっと読んでいたくなる。

私の周りには、そういう人が数えられないほどいる。それぞれが、多種多様な影響力を持っている。私はただ、彼らの言葉に感嘆し、畏敬の念を抱き、時に羨望の眼差しを向けるだけだ。
私の言葉で、どれほどの人が影響を受けているのだろうか。いや、私の言葉に、はたまた私自身に、そういう影響力はあるのだろうか。

ボケの友人、ツッコミの私

昨日、一昨日と、今月2度目の旅行に行っていた。今回は普段から仲の良い友人と、山梨での観光を満喫した。石和温泉は家族で数度赴いた地ではあるが、駅周辺が整備されていて幾分違って見えた。

私の友人は揃いも揃って「ボケ」である。良い意味で。対してほぼ私だけが「ツッコミ」のような構図が完成している。「イジり/イジられ」だろう、と言われればそれもそうかもしれない。
友人はたいてい奔放にボケる。し、奔放にイジる。通常の会話をキャッチボールというが、どこと構わず大量に豪速球が飛んでくる、というイメージ。私はそのうち7割くらいは拾う。う。で、残りの3割は一緒に爆笑する。理由は「意味がわからなすぎて拾えない」がほとんど。ツッコミができてもできなくても、場は盛り上がる。笑いにあふれる。みんな幸せになる。

でも、私は適当にしか返していない。
ツッコミにはコミュ力が必要だ、とよく言われる。しかし、私にはお世辞にもコミュ力があるとはいえない。少なくとも、他人を笑わせるようなコミュ力は。こんなオウム返しにしかなっていないような、ただ勢いに任せたツッコミが、なんでこんなにウケるんだろう。これでいいのかな。

それでも、理由はわからないけど、笑ってくれる友人を私は大切にしたい。うまく返したつもりではないし、何か見返りを要求するわけでもないけど、そこに笑いという確固たるレスポンスがある。それで幸せになるなら一番だ。ついでに、忙しそうにツッコミをするのが、私には一番だ。

ブレインストーミング

家族旅行で栃木に来ている。このあたりは自然が豊かで、たぶんマイナスイオンにあふれている。よくわからないけど。
昨年は忙しくて自分は行けなかったが、家族旅行は毎年の恒例行事。20を超えた今でも。

そういえば、小さい頃は旅行とかそういうイベントの夜、父親が「今日楽しかったことを5個言って」と自分に尋ねるのも恒例だった。すぐ5個言えたときは、さらに5個。合計10個。
最初は簡単だ。「遊園地で遊んだ」「夕ご飯のバイキングが美味しかった」そのぐらいでいい。子どもでもすぐ浮かぶ。
ただ、10個言えとなると厳しい。ええっと、ええっと…。終わるまで寝させてくれないから、一生懸命考える。そうだ、「店員さんがお菓子を1つオマケしてくれた!」なんだそれ。楽しいというかただのラッキーだ。

父親の思惑でも何でもないだろうが、幼少期のこの経験は、意外にも自分の思考力を大きく伸ばしてくれた。
ブレインストーミング、といわれる、学生生活でも社会でも重要な手法がある。アイデアをとにかくたくさん出して、それをまとめること、だった気がする。とかく発想力と、頭の回転の速さが求められるものだ。
父親が自分に要求していた「楽しかったこと列挙チャレンジ」は、まさにそのブレインストーミングの能力を培ってくれたのだと思う。培う気があってそうしていたかはわからないが、少なくとも自分にとっては、勝手ながらプラスに作用したと思っている。

23になる今年は、もうそんなこともしないだろう。ただ、もし今「楽しかったこと10個」と言われたら、苦笑しながらも余裕で答えられると思う。

虚栄心

攻撃は最大の防御。ゲームが好きで、とりわけRPGが好きな友人が主にとる戦闘姿勢らしい。自分もそうだった。じこさいせいなんていらねえ!!サイコキネシスで押しまくるぜ!!典型的なアタッカーだった。

なにもゲームに限った話ではない。
気が強いだとか、負けず嫌いだとか、よく言われる。というか、そうとしか言われない。他人には強気だからだろうか。他人には。
他方、内心ではそうありたいと思っていない。ずっとからにこもるを使っていたい。楽だもの。でも口に出る言葉は、良く言えば強気、悪く言えば誇張。おいおいと思いつつどうにか内から食らいついていく。食らい付けてるかわからないけど。

小さいから大きく見せたい。ある意味では当然だ。小さいなら小さいままさらけ出せばいいのに、口から出る言葉はその反対をいこうとする。虚栄。強がり。いじっぱり。いじっぱりっていうとそれこそポケモンの性格みたいで嫌だな。
これが良いことなのかはわからない。わからないから、口だけは強気。今日も、たぶん明日からも、ちっぽけな心は身勝手な私の口に呆れつつも付いていくのだろう。