お茶よりも微炭酸。

暇つぶしに。それから思考の図書室にしたくて。

ボケの友人、ツッコミの私

昨日、一昨日と、今月2度目の旅行に行っていた。今回は普段から仲の良い友人と、山梨での観光を満喫した。石和温泉は家族で数度赴いた地ではあるが、駅周辺が整備されていて幾分違って見えた。

私の友人は揃いも揃って「ボケ」である。良い意味で。対してほぼ私だけが「ツッコミ」のような構図が完成している。「イジり/イジられ」だろう、と言われればそれもそうかもしれない。
友人はたいてい奔放にボケる。し、奔放にイジる。通常の会話をキャッチボールというが、どこと構わず大量に豪速球が飛んでくる、というイメージ。私はそのうち7割くらいは拾う。う。で、残りの3割は一緒に爆笑する。理由は「意味がわからなすぎて拾えない」がほとんど。ツッコミができてもできなくても、場は盛り上がる。笑いにあふれる。みんな幸せになる。

でも、私は適当にしか返していない。
ツッコミにはコミュ力が必要だ、とよく言われる。しかし、私にはお世辞にもコミュ力があるとはいえない。少なくとも、他人を笑わせるようなコミュ力は。こんなオウム返しにしかなっていないような、ただ勢いに任せたツッコミが、なんでこんなにウケるんだろう。これでいいのかな。

それでも、理由はわからないけど、笑ってくれる友人を私は大切にしたい。うまく返したつもりではないし、何か見返りを要求するわけでもないけど、そこに笑いという確固たるレスポンスがある。それで幸せになるなら一番だ。ついでに、忙しそうにツッコミをするのが、私には一番だ。